今日はアドラー心理学について学べる「嫌われる勇気」について紹介します!


5分ほどで読める記事になっています
他者の人生を生きるな
私が紹介するまでもない大ベストセラーの「嫌われる勇気」
幸せに生きて行くために考え方について、青年と哲人の対話形式で語られています。
マイナスなことばかり言ったり、人生に対して悲観的で屈折した考え方をもつ青年に対して、小さな書斎で哲人が青年に優しく語りかけていきます。
読んでいる中できっと「自分もこういう考え方をしてしまっているな、、」という気づきがあるかと思います。



こんな人におすすめです
- 人間関係に悩んでいる人
- 過去にトラウマがある人
- つい他人を責めてしまう人
嫌われる勇気 まとめ
「原因」ではなく「目的」
本書、アドラー心理学ではトラウマを否定しています。過去の原因ではなく今の目的。
過去の経験にどの様な意味を与えるかは今の自分が選択をしています。
例えば「自分は親が離婚しているから不幸なのだ」という考え方は親が離婚しているという「原因」ではなく「今、私は不幸である」という「目的」があり、過去の経験に自ら意味を与えいる。
不幸であることを善だと判断して、不幸であることを選択していると言います。
人生というものは誰かに与えられるものではなく、自ら選択していくものです。
ただ人は変わるのは難しい、このままである方が楽だからです。
ライフスタイルを変えるには大きな勇気がいる、アドラー心理学は勇気の心理学でもあります。
劣等感はただの思い込み
本来の劣等感とはそれをきっかけに努力や成長を促すきっかけともなります。
いわゆる「どうせ自分なんて、、」という様な一般的なこの感情は劣等感ではなく「劣等コンプレックス」。
「劣等コンプレックス」とは自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めることを言います。
本来は何の因果関係もないのに、あたかも因果関係があるかの様に自らを納得させます。
「私は学歴が低いから出世できない」というのは「出世できない」のではなく「出世したくない」。
現実問題、学歴がある方が優位に働くこともあるでしょう、しかしそうした現実でどう立ち向かうかが重要なのです。
結局のところ上記の様な「出世できない≒出世したくない」というのは一歩踏み出すのが怖い、今の楽しみの時間を捨ててまで変わりたくない。
ライフスタイルを変える勇気を持ち合わせていないということです。
健全な劣等感は他者との比較の中で生まれるのではなく、理想の自分との比較から生まれます。



変わるためには何かを捨てる必要もあるね
承認欲求はいらない
SNS全盛の現代を真っ向から否定する様な形になりますが、アドラー心理学では承認欲求を否定します。
我々は「他者の期待」を満たす為に生きているのではない。他者の承認を求め、他者から評価を気にしているばかりでは他者の人生を生きることになります。
逆もしかり他者も自分の期待を満たすために生きているわけではないので相手が自分の思う通りに動いてくれなくても怒ってはいけません。
課題の分離
「これは誰の課題なのか?」
という視点から自分の課題を他人も課題を分離する必要があります。
例えば勉強をしない子どもに対して勉強しなさい!と口出しをすることは子どもである他人の課題に首を突っ込んでいることになります。
勉強しなさい!と言われれば言われるほど勉強したくなくなりましたよね?
よく東大生なんかが親から一度も「勉強しなさい!」って言われたことがないなんでよく聞く話です。
少しそれましたが対人関係のトラブルの多くが他者の課題に土足で踏み込むことによって引き起こされます。



これは誰の課題なのか?
という視点から自分の課題と他者の課題を分離していく必要があります。
まとめ
承認欲求であったり、劣等感であったり、目的論であったりと我々現代人がつい陥りがちな思考について真っ向から否定をしている。
そんな印象を受ける一冊でした。



他者の人生を生きている
このワードが最も印象にのこりました。
承認欲求からの他者にどう見られたいか?というところで他人の人生を生きてしまっている。
今悩んでいるその課題は果たして「自分の課題」なのか「他者の課題」なのか考えていきましょう。
明日からの生き方について「はっ」と考えさせられる、そんな一冊でした。
是非一度手にとって読んでみてください!
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